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政治経済・評論

日本の責任

1990年頃までカンボジアは、東南アジアの立憲君主国に過ぎなかった。そこに60年代からエスカレートした米軍のインドシナ侵略により混乱が飛び火し、70年には親米派の軍人ロン・ルノによるクーデターが起こり、シアヌークは国王の座を追われた。その後、フランス留学中に「マルクス主義」の影響を受けたポル・ポト、イエン・サリらを中心としたカンボジア共産党らが軍事的主導権を握る形でカンボジア民族統一戦線が結成され、1975年には全土がロン・ルノらから解放された。しかしながら、彼らはおよそ初歩的な社会科学の知識すら持ち合わせず、中国の文化大革命の影響を受けたともいわれる「革命理論」を持ち込み、知識人を中心に200万〜300万ともいわれる自国民を大虐殺した。

 

その後、クメール・ルージュに反旗を翻した軍の幹部らを中心に、ベトナムの支援を受けたカンボジア救国民族統一戦線がベトナム軍とともにポル・ポト政権を打倒した。しかし当時の中国をはじめ、タイ、アメリカはポル・ポト政権の残党に陽に支援し、カンボジアの悲劇をその後も助長させた。そして、日本政府がこれらの残党が国連でなおも議席を維持することに腐心していたことは忘れてはならない。すなわち、ポル・ポト政権によるカンボジアの悲劇を「引き延ばし」にしたのが、誰であろう当時の日本政府であったのである。

 

もちろん今のフン・セン政権が、かつての救国戦線の当時の理念を引き継いでいるとは到底言えまい。それゆえ、日本政府には現在のカンボジアに対しては、慎重にも慎重を期す対応を求めたい。そしてそのことは当時、ポル・ポトを中心とした民主カンボジア支援に回った、日本の一部の市民団体や政治勢力にも言えることなのである。

 

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