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政治経済・評論

三審制を問う

 

先月の6日、オウム真理教の引き起こした事件で死刑判決を受けていた七人の刑が執行された。ちょうど私が生まれた年に起きたこの事件はその後も暗く語られる未曾有の事件となった。

 

日本列島、とりわけ私の住む西日本では何年ぶりかの大雨による避難勧告や避難指示などが発令される中、一斉にこの日、死刑執行が、豪雨の音に消されたかのように、それこそ何事もなかったかのように、そして正義を振りかざすかのように執行された。

 

麻原教祖に至ってはたった一審の審判により事件の真相が閉ざされた。今から一〇七年前、旧刑法時代だが、たった一審による裁判にて大逆事件の判決が、審理を始めてわずか二週間ほど後に判決、そしてそれより六日、七日後にあっという間に刑が執行され、一二人の命が抹殺された。月日は流れ、敗戦後の昭和二二年に司法大臣より一通の文書が残りの死刑囚に送られた。そこには「無期懲役の刑の言渡の効力を失はしめられる」と書かれていた。これは「判決の効力が無くなった」というものでしかなく、法の精神が封じられた司法判断に、真相は未だ闇のままである。

 

今回の死刑執行に関して、テレビなどはどの番組もまるでショーのように映像が流され、まるで真相解明がなされていないことに異議を差し込む余地のない、残忍な犯罪者の末路と言わんばかりの扱いに見えた。朝日新聞によれば、フジテレビの企業広報室は次のようにこの番組について説明する。「十三人の死刑確定囚がいる中で誰に対して死刑が執行されたかという非常に重要な情報を視聴者の皆さまにわかりやすく迅速にお伝えするためのもので、問題があるとは考えておりません」と。

 

確定判決として、リアルな死刑執行を、より早く、よりリアルに、という競争のごとく扱うことにメディアの使命があるというのだろうか。勝ち誇ったかのような報道ぶりに、正義はそこにあるのかという疑問が消えない。欧州連合加盟二十八カ国とアイスランドノルウェー、スイスは今回の死刑執行を受けて「いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」などとする共同声明を発表した。EUは死刑を「基本的人権の侵害」と位置づけている。事件の中心にいた井上死刑囚は「生きて罪を償うことができますようにこれからもどうかよろしくお願いします」と、支援者に思いを伝えていたという。また再審請求中でもあった。それにもかかわらず、一斉の死刑執行ということへのこだわりなのか、死刑を執行した。

 

私は大逆事件の真相解明は一〇〇年経ってもなされたとは思っていない。真相解明を求め、再審を願う全国各地の顕彰会の活動はますます大きくなりつつある。死刑執行の前夜、安倍首相ほか与党幹部は衆議院赤坂宿舎で宴席を用意し、乾杯の挨拶は竹下総務会長が務め、死刑執行の直接の権限を持っている上川法務大臣の発声で「万歳」をした。

 

人の生命を剥奪する権限を持つ人間の、死刑執行の決定は、正義の執行だったといえるのか。欧米諸国から提起された疑念に対して、胸を張って正義と言い切れるのか。「国権維持のためなら、人権など歯牙にもかけない」という暗黒裁判、私にはこの死刑執行は殺人と同じ行為に思え、冤罪に死んだ無辜の命に胸が締め付けられ、その日は眠れぬ夜を過ごした。

 

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